地元に帰った時に集まった高校の友達、当時の思い出話に花が咲く。
「あの時先生に怒られて…」「そうそう!」「まじ寒かった!」云々。
しかし、なぜか私はほとんど記憶にない。
というか、高校時代の記憶がそんなにたくさん出て来ない。
大学時代でもそうだった。
ちょっとした頼まれごとで、大学時代のことを思い出していたのだが、
高校に比べて思い出も多いし、内容も鮮明ではあるが、
それでも思い出せないこともたくさんある。
思い出が少ないのかと言えばそうでもない、と自分では思う。
その思い出を、自分の中で大事にしてこなかったのだろうか。
自分にとって、そんなに印象に残らない事柄だったのだろうか。
だからもう、きれいさっぱり忘れてしまったのだろうか。
私は実は無感動な人間なのかな、と、ちょっと寂しい気持ちになった。
偶然、年末の『偽日記』にこんな文章があった。
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現実にはそんなことはありえなかったし、そして、それを思い出すことも決してできないが、しかし確かに存在する「ある記憶」に支えられることで、人は生きている。ある意味「夢オチ」とも言える、すべては無かった、と同時に、あった、という形で作品が閉じられる。
古谷氏がここで批評している作品について、私は全く知らないけれど、
この文章に、とても共感した。
夢でも現実でも構わない。嘘か本当か分からない。
世界は割りとそんな風に、曖昧な部分を多分に含みながら成り立っているような気がしている。
映画『図鑑に載ってない虫』や漫画『平凡ポンチ』が好きなのも、その世界観が描かれているからだ。
記憶は、時が経てば経つほど曖昧になり、次第に自分の良いように書き換えられていくし、
ときに(意図する、しないに関わらず)ねつ造されることもある。
しかし、その記憶が正確であろうと、間違いであろうと、または思い出せまいと、
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私は「その記憶」たちによって支えられているのは確かだ。
ライブに行くのが好きな友達の多くが、
ライブに行ったときの興奮や感動、最高に盛り上がったときの恍惚感や一体感、
それを感じたくて、行くんだと思う。
泣けるほど美しい景色を見たときも、そうだ。
それはほんの一瞬のことだとしても、その一瞬の記憶が、普段の日常を照らしてくれる光となる。
時間が経ち、その記憶が曖昧になって薄れていっても、
またあの感動が味わえるなら、世界はときに素晴らしいものであるのなら、
その記憶を糧に、また生きていこうと思える。大げさに聞こえるかもしれないが、本当にそうなのだ。
思い出話に花を咲かせることが出来ないのは、ちょっと心苦しいが、
高校時代も、大学時代も、確かにその時一緒に過ごした時間があって、
だから今でもこうしてたまに集まって、くだらない話が出来る。
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思い出せなくても、その記憶が「ある」ということが何よりかけがえのないことで、
もうそれで十分と言うか、思い出を思い出せないことに、憂う必要もないような気もした。
あの時、あの人に、何を言われたとか、強烈に覚えている場合もあるが、
常々お世話になっている人に言われたことは、覚えていないことも多い。
でも、色々お世話になったと言う記憶は確かにあって、だからこそ今も尊敬し続けている。
それは確かだ。
ということで、思い出せないことは、どうかそれで許して下さい。
こんなライブに行ったと言う記憶だけで、少なくともColdplayがいなくなるまでは生きていける気がする。
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